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1981年 昭和56年2月28日
第一歩目のはじまり
興栄寺は鹿児島県伊佐市(旧大口市)で大口教会としてはじまりました。昭和50年4月5日に能勢慈真師が開設した大口教会を興栄寺初代住職の田島芳修師(平成28年9月3日没)が「身語正の教えを一人でも多くの方に伝え、救いたい」との願いから引き継ぎ、第一歩目がはじまりました。
1982年 昭和57年6月5日
大口教会から鹿児島西教会へ改称
伊佐市(旧大口市)の田園から始まった大口教会でしたが、鹿児島市内でのお同行様も増え、現在まで繋がるお同行様のご縁に恵まれながら、鹿児島市田上台に拠点を移し、昭和57年鹿児島西教会と改称致しました。
1995年 平成7年12月7日
教会から寺院へ昇格
鹿児島市田上台にて教会から寺院に昇格し、瑞光山興栄寺の寺号を授かりました。
2000年 平成12年
鹿児島市田上町(現在地)に986㎡の行場を求める
お同行様の増加により現在地に井戸、滝場、行堂、淡島堂、鉄筋コンクリート造瓦葺2階建の本堂の整備を行い、平成15年に本堂が完成し、翌年11月に本堂落慶法要を厳修致しました。
2025年 令和7年3月
「宗教法人瑞光山興栄寺」誕生
「宗教法人瑞光山興栄寺」の認証をいただき、同年12月に開山30周年を迎えました。
現在
お同行様のためにこれからも…
初代住職の田島芳修師の「身語正の教えを一人でも多くの方に伝え、救いたい」との願いから産声をあげた興栄寺ですが、その思いにご賛同いただきお参り下さった皆様方のお陰をもちまして2031年(令和13年)開設50周年を迎えます。代表役員以下責任役員一同心より感謝申し上げます。本当にありがとうございます。今後も「全てはお同行様のために」〜共に願い、共に行じ、共に歩む〜の寺訓のもと、精進して参りますので何卒よろしくお願い申し上げます。
大本山 瀧光徳寺(佐賀県三養基郡基山町)
中山身語正宗(なかやましんごしょうしゅう)を開かれた宗祖覚恵上人(しゅうそかくえしょうにん)は、幼い頃より仏様の声を聞くことのできる不思議な少年でした。そして成長されるにつれ、仏様のいわれるままにあちらのお堂、こちらの神社と、お行(修行)を積んでいかれました。
1912年2月18日、仏様が「この度、根本大悲の親は頼む一念身語正と開くぞ。日本の国のすみずみから、世界の国のはしばしに至るまで、ひらいて助けてゆくぞ。」と宣言され、宗祖覚恵上人に身語正(しんごしょう)という仏教の新しい法門(教え)を開くように示されました。そこで本宗では、この日を「立教の日」と定めています。
仏様は続けて「身語正とは『身(み)に正(まさ)しく如来の語(ことば)を授かる』との謂(い)なり。」と、「身語正」の意味をお示しくださいました。この「身語正」ということばは、本宗の教えの根本でもありますので、宗名とすることになりました。また「中山」とは、大本山瀧光徳寺(りゅうこうとくじ)周辺の古い地名です。
「中山身語正宗」とは、「中山」の地で、「身語正」という新しい法門(教え)を開くぞ、という仏様の「おことば」に由来します。
戦後になり、日本国憲法が施行され信教の自由が保障された後、身語正第二世覚照(かくしょう)猊下は、昭和21年6月27日、宗教法人令に基づき「中山身語正宗」を立宗し、昭和27年7月5日「中山身語正宗」は包括宗教法人の認証を受けました。
本宗は、大本山瀧光徳寺(佐賀県三養基郡基山町)内に宗本部を置き、関東別院誓照寺(せいしょうじ)(千葉市)をはじめ、日本全国に約300カ所の布教拠点を有する仏教の宗団です。
本宗の教主である「根本大悲の親(こんぽんだいひのおや)」と名乗られた仏様は、1912年2月18日に、私たちの目に見える姿でこの世に出てこられるとき、「中山不動と世に出(い)ずるぞ」と宣言されたので、私たちはその仏様をご本尊「中山不動尊」としておまつりしています。
「中山不動尊」は、岩座の上に立つ赤身の立像です。私たち苦しむすべての衆生を助けんがために、左足を半歩前に出されており、火焔光背は舟形になります。
このお姿は、宗祖覚恵上人が仏様から授かられたままのものであって、本宗の教主「根本大悲の親様」が、身語正行者の行願をことごとく成就させてやりたいと願われ、顕してくださったお姿です。
中山身語正宗を立教されたご開祖を、「宗祖覚恵上人(しゅうそかくえしょうにん)」(俗名・木原松太郎)といいます。また、「宗祖上人」「覚恵上人」「お上人様」ともお呼びしています。お亡くなりになるまでの72年間の生涯を通し、「宗祖覚恵上人」は、仏様から授かる「おことば」のままに中山身語正の教えを持ち出し、多くの方の幸せのためにその生涯をささげられました。